袴田巌さんの再審【袴田事件】争点は犯行時の着衣のDNA鑑定

袴田事件 再審開始
 

袴田事件謝罪は熊本裁判官一人のみ!冤罪とヤラセ関与は数十名

 
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2017/9/26 袴田事件、東京高裁で即時抗告審

昭和41年に現・静岡市清水区で一家4人が殺害された「袴田事件」で、死刑が確定していた袴田巌さん(81)について、静岡地方裁判所は犯人のものとされる衣類に残された血痕のDNAの型が、袴田さんと一致しなかったという弁護側の専門家の鑑定などを基に再審を認める決定を出したのが3年前。

即時抗告審では「犯行時の着衣」とされたシャツから、袴田さんとは別人のDNA型を抽出した本田教授の手法が焦点になっています。

約3時間の尋問は非公開でしたが、再審請求人である袴田巌さんの姉・秀子さん(84)も同席しています。

「袴田事件」で再審・裁判のやり直しが認められる決め手となったDNA鑑定の手法について、9月26日、2人の専門家が東京高裁で証言しました。

地裁決定の根拠となった弁護側鑑定は筑波大の本田克也教授が実施し、確定判決が犯人の着衣と認めた5点の衣類に付着した血痕のDNA型は、袴田さんと一致しないと結論付けました。

弁護団の小川秀世事務局長は「映像というこれ以上ない証拠を示した」と話しています。
 
 
一方、東京高裁の依頼を受けて鑑定手法を検証した大阪医科大学の鈴木廣一教授は 鑑定の手法や結果には疑問があると証言。

本田教授の手法については、鈴木教授が「試薬にDNA分解酵素が存在する」などと批判していたということです。

検察側は6月に提出された鈴木教授の最終報告書を基に「本田教授の手法はDNA型を抽出する能力が著しく劣り、地裁決定には根拠がない」と主張しています。

この2人の専門家は9月27日も証言することになっています。

2017/9/27 弁護団の記者会見

9月27日に記者会見した弁護団によると、弁護側が本田氏の鑑定を再現実験したとするDVDも上映し、「鈴木教授の検証のやり方には不備がある。こちらの実験では、本田教授の鑑定をもう一度再現できた」と鑑定の正当性を主張しました。

一方、検察幹部は「従前から主張している通り、本田教授の手法ではDNA型を適切に検出できないことを明らかにした。(『不適切な鑑定』とした)鈴木教授の検証結果を裁判官に理解してもらえたはずだ」と話したということです。
 
 




 
 

2017/11/7 東京高裁は今年度中に再審の判断


 
袴田巌さん(81歳)について、静岡地裁は2014年に再審の開始を決めましたが、検察が即時抗告して 審理が続いています。
 
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弁護側によると、11月6日の三者協議で、東京高裁は検察側と弁護側に最終意見書を提出するように求め、2018年3月までに再審について判断を示す方針を明らかにしたということです。

即時抗告審では、地裁で決定の根拠とされた弁護側のDNA鑑定を巡り、専門家の尋問が非公開で行われていました。

2018/1/7 みそに漬けられた布の血痕からDNAを抽出できていた!

 



 
袴田巌さんの弁護団が今秋、地裁で採用されたDNA型鑑定を再現する実験を行った結果、7年半前にみそに漬けられた布の血痕からDNAを抽出できていたことを12月28日に弁護団が明らかにしました。

弁護団
みそなどで汚れた試料からも、血液のDNAを抽出できることがはっきりした。

静岡地裁が袴田巌さんの再審開始を決定し、釈放したのは3年9カ月前の2014年3月。

その主な根拠となったのが、袴田巌さんの勤務先のみそ工場のタンクから発見された「犯行時の着衣」のシャツの血痕から、本田克也・筑波大教授が考案した「細胞選択的DNA抽出法」でDNA型鑑定し、袴田さんとは別人のDNA型が検出されたことからです。

しかし検察側は「手法が信用できない」などとして不服を申し立て、東京高裁で審理が続いてきました。

弁護団は今年9月、この「選択的抽出法」で、実際に弁護士がDNAの検出を試みる実験を実施したところ、すべての血痕サンプルから検出できたということです。

この中には袴田さんの支援団体が別の実験に用いるため約7年半前に血液を付着させた衣類をみそに漬け、保存していたものも含まれていました。

弁護団によると、実験の様子は定点カメラと手元を映すカメラを用いて一部始終を映像に記録し、抽象的な「科学論争」が続く中、あえて「目で見て分かる方法」で証明を試みたといいます。

そしてこの映像は既に高裁に証拠提出されています。

2008年に静岡地裁に申し立てられた第2次再審請求の審理では、40年以上前にみそ漬けの状態で発見された衣類の血痕から、血液のDNAを抽出できるかどうかがかぎとなっていました。

弁護団
(再現実験について)本田教授の原理が正しく、慎重に審理を重ねた地裁決定が揺るぎないことが明らかになった。
検察側
第三者による実験ではないので信用できない。
 
 
約5年間に及んだ静岡地裁の審理では、「犯行時の着衣」とされたシャツの血痕を最新技術でDNA型鑑定するよう弁護団が求めたのに対し、検察側は「血痕は古く、みそに漬かっていて、汗や唾液など血液以外の成分で汚染されている」として鑑定の実施そのものに反対していました。

地裁は「より確実に血液のDNAだけを検出できる方法はないか」と本田教授に打診し、これを受けて本田教授は、一般的なDNA抽出を行う前に、血液細胞だけを集めて取り出すという前処理の方法を考案しました。

汚れたシャツの血痕を溶かした液の中に、血液細胞を凝集する効果がある試薬「抗Hレクチン」を滴下し、温度処理などを加えた上で、遠心分離で血液細胞だけを集めるというものです。

予備実験などを経て実際に鑑定が行われたことで地裁の再審決定につながりましたが、検察は相変わらず「信用できない」と不服を申し立てていました。

高裁の審理では、検察側の求めで別の学者が本田教授の方法を検証することになり、約1年半かけて検証報告書を提出していましたが、今秋に行われた鑑定人尋問で、この学者が高裁の嘱託通りの鑑定をせず、本田教授とは違う方法や器具を用いて実験していたことが明らかになりました。

2018/1/13 ボクシング関係者が再審要請書を提出

 

2018/2/2 即時抗告審の手続きが終結。袴田さん再審は年度内にも東京高裁で可否判断へ

袴田巌さん(81歳)の即時抗告審で、弁護団は2月2日、最後の意見書を東京高裁(大島隆明裁判長)に提出しました。

弁護団によると、東京高検も同日に意見書を出し、2014年に始まった即時抗告審の手続きが終結しました。

高裁は年度内にも再審の可否を決める見通しです。

西嶋勝彦弁護団長
もはや裁判所を悩ませる問題はない。
速やかに即時抗告を棄却し、再審公判へ進めるようにしてもらいたい。

東京高検は意見書の提出について「答えられない」としています。
 
 
 
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2018/2/3 釈放から3年4ヶ月。今なお続く拘禁症の影響

釈放から、3月で4年を迎える袴田巌さん(81)

最近は、浜松市中区で一緒に暮らす姉秀子さん(84)と県外にも出掛けるが、拘禁症の影響は続く。

一方、収監当時の様子を知る元刑務官の男性が2日までに取材に応じ、「症状の改善には無罪判決が必須」と訴えた。

手袋を外した左手の親指と人さし指で円を作ったり、ピースサインを送ったりする袴田さん。

そんな姿を散歩コースの人々は日常の光景と受け止めているようだ。

連日数時間外に出掛け、ゲームセンターの大型スクリーンを見詰めたり、自動販売機で飲み物を買ったりして自由を確かめているかに見える。

ただ、支援者の男性(72)は「『自分は神』というところから抜け出せないでいる。本人はまちをパトロールしているとの認識のようだ」と話す。

「大丈夫。最高裁の裁判官は神様みたいな人たちだから。僕は信じている」

最高裁で上告が棄却され、死刑判決が確定する数カ月前の1980年の夏。

東京拘置所内で初めて袴田さんと会った元刑務官で、罪を犯し償った人の更生支援を行うNPO法人理事長の坂本敏夫さん(70)=東京都立川市=は、逆転無罪判決を信じ続け、そう袴田さんが話していた姿がまぶたに焼き付いている。

最後に坂本さんが袴田さんと会ったのは88年の暮れだったが、まだ元気な様子だった。

多くの死刑囚を見てきた坂本さんは最近の袴田さんの様子をメディアで知るたび、「死刑の恐怖の中で無罪を訴え続けながら生き延びるには、妄想の世界を作り上げるしかなかった。それは、病気というより人間の『本能』に近いのでは」と感じている。

そして、「癒やすのは無罪判決しかない」と訴え、「いつか浜松に会いに行きたい」とも話す。

秀子さんは「巌が行きたい場所があればどこにでも連れて行きたい。次は日光東照宮に連れて行きたい」と話している。

2018/2/13 再審求め 熊本典道・元裁判官の陳述書を提出

袴田巌さん(釈放中)と熊本典道さん(死刑判決書いた元裁判官)が対面 約50年ぶり

袴田巌さんの姉秀子さん(85歳)と支援者は2月13日、一審で死刑判決を書いた元裁判官・熊本典道さん(80歳)の「再審の道を開いてもらえるようお願いする」との陳述書を東京高裁に提出しました。

一審静岡地裁で陪席裁判官だった熊本さんは2007年、袴田さんが無罪との心証を持ちながら、他の裁判官との合議で死刑判決を書くことになったと告白。

再審開始決定の直前にも陳述書を提出していました。

2014年に釈放された袴田さんは2017年1月9日、熊本さんが入院している福岡市の病院を訪れ、一審判決以来約50年ぶりに再会しました。 
 
 
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