毒親の老後を見捨てる介護計画!「いらない子」の娘の復讐体験談
40代女性 母によると、私は生まれた瞬間から父親に「なんだ女か。女はいらない!」と言われていたらしいです。
父は肩書きが大好きで堅物な昭和の頑固親父。
子どもの頃から躾や礼儀作法も厳しく、食事中でも「箸の持ち方が悪い!」と言っては殴られ「テストの成績が悪い!」と言っては殴られ。
門限の18時を破ると、それを母から聞いた父親が夜中に寝ている私の髪をつかみ、振り回し投げ飛ばし蹴る。
そんな「しつけ」と称する暴力の中で私は育ってきました。
殺意を抱くほど大嫌いな毒父と娘に無関心で冷たい毒母
父親の理想通りに品行方正にしていなければ暴力を振るわれ、事あるごとに「お前みたいな子どもはいらん!」とののしられ続けていました。
中学生時代は反抗期と重なっていたこともあって、父親からいちばん暴力を受けた時期でした。
私も体格は良かったのですが、身長が180㎝以上ある父親には腕力では勝てませんから、中学2年生の時に夜中に包丁を握って、父親を〇害しようと考えたことがあるほどです。
「あんな親父を殺して自分が捕まるとか馬鹿げてるな」と思い直しましたが。
そんな日常だったにもかかわらず、母親が盾になって私をかばってくれることも一度もなかったので、私の中ではあの母親も毒親認定しています。
「お父さんに素敵な施設を紹介してあげるね」
子どものころから「しつけ」と言う名の暴力を受け続けてきたので、早く自立したかった私は、19歳で結婚して家を出ました。
子育てが一段落した30代で介護の資格を取り、知人と介護関係の会社を立ち上げ、その後ケアマネージャーの資格取得や新しい施設を立ち上げたりと多忙な日々を送っていました。
忙しさにかまけて実家にはほとんど帰ることもなく、父親とも母親とも連絡をとることもしませんでした。
私は何年経っても父親が大嫌いで、ずっと「他人」と思って過ごしてきました。
そんな父が5年前に倒れ、ベッドで寝た切りの生活を余儀なくされた姿を見て
…と思った時、私は久しぶりに実家に帰り、父親のために品行方正な娘を演じてあげて、
…と伝えました。
仕事柄、私は様々な施設の裏情報を知っていたので その中でもトビキリに評判の悪い施設で父の入所手続きを着々と進めていきました。
どんな風に評判が悪いかは大人の事情でここでは書けませんが、事情を知っている人なら誰も行きたがらない、あるいは身内を絶対に入れたくないようなところです。
私が父親をその施設に放り込んでからは二度と会うことはなく、そのまま父はこの世を去りました。
父親が亡くなったことで、今まで蓄積してきた恨みと憤りに対して、自分の気持ち的に少しは決着がついたかなぁ…と思います。
まあ、まだ毒母が残っているので、いずれはその処理もしなければいけませんが。