下町の勝ち組団地のタブーと自殺者が続出した団地【東京都内の心霊スポット】

団地 タブー

下町の勝ち組団地のタブー

東京都江東区の大島4丁目団地はずいぶん昔に「下町の勝ち組団地」と呼ばれていたが、年配者のセカンドハウスとして人気がある一方で、近年は若い人や外国人の入れ替わりが激しく、治安悪化が進んでいるともいわれた。

>>大島てる(大島4丁目団地)

そんな大島4丁目団地で2006年1月 悲劇があった。

6号棟に住む当時29歳の主婦が、夫に浮気を疑われた抗議の意味で自宅に放火したところ、長女が煙を吸って死亡したのだ。

鈴木邦枝(犯人)
自分の浮気を疑う夫を困らせたかった。
 
前日も自宅前の廊下に火を付けて夫に電話をしたが、あまり心配してくれなかったので、気を引くため火を付けた

実はこの鈴木事件の前年にも、やはり6号棟で、鈴木邦枝と同じ浮気講義を理由に、アジア系女性が放火事件を起こしている。

一説によるとこの団地内では、2000年以降、8人が亡くなっているという。

団地の自治会関係者
8人じゃ済まない。
 
会合ではそういう話はタブーになってます。

2002年に起こった女子中学生の飛び降り自殺の後、地元の有志によって一角にお地蔵様が建てられた。

この団地のある大島地区一帯もこちら↓と同じように東京大空襲に見舞われて 2万人以上がこの場所に仮埋葬されている。

死神にとりつかれた町!?【東京都内の心霊スポット】

また、大島団地に隣接する「大島緑道」はネット上で最凶心霊スポットと謳われたことがある。

実際に訪れてみると比較的明るい場所なのでそんな雰囲気は感じさせないというが、緑道で写真を撮ると 高い確率で赤い光やオーブが移りこむという話がささやかれている。

 
 
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自殺者が続出した団地

最近は「団地」というと 響き自体がレトロ感を感じる言葉になっているが、昭和30~50年代の高度経済成長期には空前の団地ブームがあり、「○○団地」の名のつくものが続々と建てられていた。

鉄筋コンクリート造りの大きな建物に、いすやテーブルを備えたリビングやダイニングキッチン…といった洋風の住まいに住むことが、昭和40年代の若い夫婦の憧れだったという。

そんな中でも特に注目を浴びたのが、1972年に登場したT団地である。

T団地は「東洋一のマンモス団地」がキャッチフレーズの高層住宅群で、駅は目の前にあり、敷地内にケヤキ並木が通る、1万戸以上の大団地だった。

周囲にはショッピングセンターや公共施設や学校などが整備されて、T団地は一大住宅都市となり、そんなマンモス団地の入居者は羨望のまなざしを向けられていたのだ。

しかし1977年4月、そのイメージが一転させる出来事があった。

父子3人がこの団地から投身自殺をしたのだ。

そのニュースがメディアを駆け巡るやいなや、あちこちから自殺志願者がT団地を訪れるようになった。

14階建てで約30メートルもの高さの高層建築物は当時としては珍しく、入居開始当初から投身自殺が5件あったが、マスコミが取り上げた父子3人の件がきっかけとなって、悲劇が加速していった。

それはニュースに誘われるように 1980年(昭和55年)までの自死数が133に上り、社会問題にもなった。

マスメディアがここを「自殺の名所」と呼んだことから、T団地に対する人々の印象が「あこがれ」から180度変わってしまった。

それに対処すべく 政府が管轄する日本開発構想研究所が重い腰を上げたのは4年後の1981年。

屋上に向かう階段に鉄格子をはめて進入禁止にしたり、廊下や非常階段などの共有スペースにフェンスを取り付けて、どこからも飛び降りられないようにした。

この対策が功を奏し、自殺者は激減し、「自殺の名所」という異名も今は昔である。
 
 
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