あさま山荘事件 犯人のその後!現在 坂口弘は死刑囚!他の連合赤軍メンバーは!?

あさま山荘事件 浅間山荘事件via:事件現場(大島てる)

事件当時の別荘名:河合楽器健康保険組合軽井沢保養所浅間山荘
所在地:長野県軽井沢町レイクニュータウン(新興別荘地)
長野県軽井沢町大字発地字牛道514-181番地


 
 
1972年(昭和46年)2月19日、連合赤軍のメンバー5人が軽井沢の「あさま山荘」に逃げ込み、10日間に渡りろう城した事件があさま山荘事件である。

メンバーはあさま山荘管理人の妻・牟田泰子さんを人質に取ったうえ、警官隊を銃撃戦を繰り広げ、手製爆弾を投げつけて反抗した。

事件が解決したのは発生から218時間後、2月28日で、この間、2人が殉職し、一人の民間人の死亡と、数十名の負傷者が出た。

後藤田正晴・元警察庁長官
彼らなりに革命論を信じていたのかもしれんが、客観的に見れば未熟さと残虐さが残っただけだった。

あさま山荘事件 犯人確保の瞬間

あさま山荘事件 犯人 その後 現在

via:http://agency-inc.com/

あさま山荘事件 10日目の攻防戦

山荘内にはもう犯人しかいない。彼らは激しく抵抗した。

ベッドルームに突入した隊員28人が総がかりとなった。

銃を手からもぎ取ろうと手を押さえ込む者、蹴られながらも足を懸命に押さえる者、首を抱え込む者。

犯人たちは手錠をかけられても暴れる。

凄まじいばかりの逮捕劇となった。

隊員たちには同僚を二人も殺された恨み、憎しみもある。

気持ちを抑えきれない隊員たちの激しい拳が飛ぶ。

佐々は大声でこれを制した。

佐々淳行
君らの隊長や仲間を撃った犯人たちは必ず国が裁いて極刑にする。私的制裁は許さない!

最後までわからなかった犯人の人数は五人。

坂口弘、吉野雅邦、坂東国男、19歳少年(加藤倫教)、16歳少年(加藤元久)。少年2人は兄弟。

高校生までが立てこもっているとは警察側もまったく予想していなかった。

佐々によれば、16歳少年がいちばんケロッとしており、白々しいほどの態度だったことが印象に残ったという。

また、坂東も割合に冷静だった。

坂口弘は興奮のきわみにあり、吉野は大声で泣き叫び見苦しかったという。

その吉野の姿を見ながら

佐々淳行
泣くな、この野郎!
 
泣くぐらいならこんな大それたことをするな!

・・・と殴りかかりたい気持ちを佐々は必死に抑えていた。

via:浅間山荘事件の真実

あさま山荘事件 犯人

via:https://ameblo.jp/shino119/

 
 
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坂口弘(さかぐちひろし)…死刑囚

坂口弘 あさま山荘事件 犯人 その後 現在

via:naverまとめ

坂口弘は1946年11月12日、千葉県富津市生まれ。

東京水産大学に入学し、川島豪(革命左派)に近づくために水泳部に所属した。

その後 坂口弘は連合赤軍に参加し、森恒夫や永田洋子(ながたひろこ)に次ぐナンバー3の地位にあり、永田洋子の元カレでもあった。

坂口弘と永田洋子は事実婚関係にあったといわれるが、永田洋子が森恒夫率いる赤軍派と合併し 連合赤軍の2大トップになった頃から森に傾倒していき、ナンバー3である坂口弘はそれを黙ってみているしかなかったという。

坂口弘はあさま山荘事件の総大将格であり、印旛沼事件や、12人の同志をリンチで殺害した山岳ベース事件にも関与している。

【印旛沼事件】

1971年夏。「赤軍」と「京浜安保共闘」が、まだ共同で軍事訓練にあたっていた「連合赤軍」結成の1ケ月前、過激派の恐ろしさも知らずに京浜安保共闘に参加した「早岐やす子(21歳)」と「向山茂徳(20歳)」は山岳ベースでの訓練などに辟易し脱走。

「京浜安保共闘」の永田洋子・坂口弘ら幹部は情報の漏えいを怖れ、赤軍派リーダーの森恒夫にも相談し、森は粛清することを提案、脱走者二人の処刑を決断する。

8月3日「早岐やす子」は、京浜安保メンバーのアパートでパーティーをやろうと誘い出された。

「早岐やす子」の飲み物には睡眠薬が仕込まれており(薬学を専攻していた永田が薬物を手配・調合した)寝静まったのを見計らって、「早岐やす子」を車に乗せた。その頃には日付も変わっていた。

そして印旛沼近辺に連れ出した後、絞殺した。その後、前日に掘っていた穴に、死体から衣服を剥ぎ取って埋めた。

8月10日、「向山茂徳」も誘い出したが、警戒して一切飲み食いせず、早く帰ろうとしていた。

そのため、「処刑執行役」全てが「向山茂徳」を押さえつけて、タオルで絞殺した。

その後、「早岐やす子」を埋めた地点の近くに穴を掘って、死体から衣服を剥ぎ取って埋めた。

これが山岳ベース前に起きた印旛沼リンチ事件である。

山岳ベース事件前にすでに彼らは二人の同志を殺害していた。

実行犯は吉野雅邦(無期懲役)寺岡恒一(真岡銃砲店襲撃事件に関与。後、永田批判により粛清)と瀬木政児(脱走)だが、金子みちよ、杉崎みさ子、大槻節子、更には運転担当の小嶋和子といった女性も加担している。

via:http://agency-inc.com

あさま山荘事件で坂口弘は 2月22日に山荘に侵入しようとした民間人(3月1日に死亡)を銃撃している。

連合赤軍事件で最後まで自供を拒んでいた坂口弘だったが、坂口がカンオチしたのは2つの死体の写真を見せられたからだったといわれている。

ちなみにそのうちのひとつの死体は連合赤軍の金子みちよ(妊娠8ヶ月)であり、金子はあさま山荘事件の共犯である吉野雅邦の妻である。

実は、1975年の日本赤軍によるクアラルンプール事件で坂口弘の名前が釈放リストに挙がっており、逃走して死刑を免れるチャンスがあったにも関わらず 坂口弘はその釈放を拒否していた。

坂口弘
私の闘争の場は法廷であり、もはや暴力革命を志す時期ではない。

ちなみに、あさま山荘事件の共犯者である坂東国男は日本赤軍への参加に同意し釈放され、海外逃亡している。

坂口弘は殺人16件、傷害致死1件、殺人未遂17件で起訴され、1993年2月19日に死刑が確定。

>>関連動画(最高裁で死刑確定)

坂口弘は現在、確定死刑囚として東京拘置所に収監されている。

坂口弘の死刑が執行されていないのは、共犯者である坂東国男が国外逃亡して裁判が終了していないためとされている。


 

 

  
 
 
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坂東国男(坂東國男/ばんどうくにお)…指名手配中

坂東国男 あさま山荘事件 犯人 その後 現在

via:http://www.geocities.jp

 


 
坂東国男は1947年1月10日、滋賀県大津市生まれ。

実家は旅館を経営。

1966年に京都大学農学部林学科に入学するがのちに退学し、1971年代に赤軍派に加わり、連合赤軍結成後はナンバー5につく。

あさま山荘事件に関与した赤軍派系メンバーは坂東国男ただ一人だった。

坂東国男は山岳ベース事件とあさま山荘事件に関与。

殉職した内田尚孝代に機動隊長を射殺したのが坂東国男と見られている。

坂東国男の父親は息子の逮捕が報道されるとそっと席を立ち、遺書を残して首吊り自殺をしたという。

人質にされた方には心からお詫びします。死んで許されることではありませんが、死んでおわびします。

後に残った家族を攻めないでください。娘を一人残していくのは心残りですが・・・

翌朝、係官から父親の死を知らされた坂東国男は顔色一つ変えず平然としていたらしいが、40日間黙秘の後、自殺した父親の位牌を見せられると 山岳ベース事件やあさま山荘事件に関する供述を始めたという。

1975年に日本赤軍によるクアラルンプール事件で超法規的措置により坂東国男は釈放され、国外脱出し日本赤軍に参加した。

連合赤軍事件だけでなく、日本赤軍としてダッカ日航機ハイジャック事件に関与している。

坂東国男は警察庁で指名手配中であると同時に 国際指名手配もされており、現在の消息や生死は不明である。
 
 
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吉野雅邦(よしのまさくに)…無期懲役

吉野雅邦 あさま山荘事件 犯人 その後 現在

via:http://blog.goo.ne.jp/akame_2005

吉野雅邦は1948年3月27日、東京都杉並区生まれ。

父親は東京帝国大学法学部卒で、三菱地所に勤務し、吉野雅邦は父と同じ東京大学志望だったが、結局一浪し横浜国立大学経済学部に入学した。

脱走メンバー2人を殺害した印旛沼事件に関与した実行犯で、この「同志殺害」を幹部の永田洋子から高く評価され、連合赤軍指導部メンバーとなり、連合赤軍ではナンバー7の地位にいた。

印旛沼事件前後に妻・金子みちよが妊娠し、吉野雅邦と妻は出産する意向を永田に告げて承諾されていたが、最終的に金子みちよは総括で胎児ともども迦葉山ベースで殺害されてしまう。

吉野雅邦を「総括」に巻き込まないため妻・金子みちよは離婚を宣言し、二人は離婚したが、吉野は自らが「総括」対象となることを怖れて 妻の擁護しなかったという。

吉野雅邦は逆に総括できていることを幹部たちに示すために、金子みちよが亡くなる直前に森の指示で縛り直したり、森・永田に求められた妻の開腹(胎児の取り出し)に同意を表明をしている。

あさま山荘事件では、吉野雅邦は2月22日に強行偵察で接近した1名と、28日に突入した2名の隊員に重軽傷を負わせている。

吉野雅邦は連合赤軍事件で17人を殺害した被告人として起訴される。

1983年2月2日に東京高裁が控訴を棄却し検察側が上告しなかったため 吉野雅邦の無期懲役判決が確定した。

判決では印旛沼事件での責任を重くみる一方で、山岳ベース事件以降は実質的に下級兵士に等しい立場にあったこと、あさま山荘事件ではほとんど坂口弘と坂東国男の指示に従っていて銃撃での凶悪性もこの二人よりは低いことから、従犯という面が認められ、死刑を免れている。

とはいえ 17人殺傷(司法の認定は16人殺人と1人傷害致死)は 無期懲役囚としては戦後日本最悪の数字であるという。

吉野雅国は千葉刑務所に現在も服役中である。
 

 
 
 
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加藤倫教(かとうみちのり)…懲役13年/出所

加藤倫教 あさま山荘事件 犯人 その後 現在

via:http://agency-inc.com/

加藤倫教は1952年愛知県刈谷市生まれ。

あさま山荘事件当時は19歳だったので 実名は伏せられて「少年A」と報道された。

山岳ベース事件で長兄(加藤能敬)が殺された時、弟の加藤元久と逃げだそうとしたが果たせず逃亡の最中、あさま山荘に立てこもった。

1983年2月に懲役13年の刑が確定し、三重刑務所で服役していたが、1987年1月仮釈放となり、愛知県に帰郷。

現在は実家の農業を継ぎ、野生動物保護、野生動物・自然環境保護の団体(日本野鳥の会愛知県支部、カキ礁研究会)に所属、活動しているという。
 

 

加藤元久(かとうもとひさ)…16歳・保護処分で中等少年院送致

加藤元久は1956年愛知県刈谷市生まれ。

山岳ベース事件で長兄が殺された時、次兄(加藤倫教)と逃げだそうとしたが果たせず逃亡の最中、「あさま山荘」に立てこもった。

逮捕時は16歳であったため少年法で「少年B」と伝えられて実名は伏せられ、保護処分扱いとなり、中等少年院に送致された。
 
 

風化させるな!連合赤軍「あさま山荘事件」の刑が確定するまで21年

あさま山荘事件の最高裁判決は1993年(平成6年)2月19日に下った。

奇しくも ぴたりと事件発生の21周年目。

しかも当時、警察庁長官としてあさま山荘事件の最高指揮官だった後藤田正晴氏が、確定判決が下ったときの法務大臣だったという偶然…も運命を感じさせる一致である。

坂口弘と永田洋子の死刑確定と、植垣康博の懲役20年の刑が確定したのが21年目というのは、国際的にも長すぎる異様な司法制度と思われていたのではないだろうか。

21年もたったら生まれた子供が成人してるわけで、事件などとっくの昔に忘却の彼方だろう。

今年であさま山荘事件から45年目を迎え、事件そのものは次第に風化されつつはあるが、現場にかかわった人たちにとっては今もあさま山荘事件は終わっていないはず。

なぜなら内田尚孝隊長を射殺したであろう坂東国男が国外逃亡し、まだ逮捕されていないから。

公安当局によると、坂東国男は基本的に中東に拠点を置いており 中国・ルーマニア・ネパールでの入国の形跡が確認されているというが、坂東国男の現在の消息や生死は不明である。

坂東国男は現在も生きていれば、満70歳である。
 
 

浅間山荘事件での死亡者は3名、負傷者だけでも20名以上、片目を失明した機動隊員もいたので、関係者にとっては忘れ去ることのできない大事件だった。

また、その後も8年間に渡り、海外赤軍での一連のハイジャック事件や三菱重工爆破事件を皮切りに続いた連続企業爆破事件など、テロリズムはとどまるところを知らなかった。

平成の世になったらなったで、今度は麻原彰晃に盲従するオウム真理教という殺人集団が現れた。

連合赤軍の集団リンチ事件(印旛沼事件や山岳ベース事件)をリアルタイムに知る人にしてみれば、オウム教団は連合赤軍の再来のように感じた人も多かったと思う。

あさま山荘事件の関係者は人質を無事救出できたとはいえ、やはりなんだかんだと不備を指摘されてきたが、人命を救うために己の命や身体を犠牲にした男たちの正義の戦いは、次の世代にも語り継がねばならないと感じる。
 
 
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坂口弘 あさま山荘事件