松本智津夫(麻原彰晃) オウム真理教 教祖の現在と死刑執行の行方

 
麻原彰晃 松本智津夫

東京拘置所の麻原彰晃被告はまるでエレファントマンだった

3006年3月27日、松本智津夫(オウム真理教・麻原彰晃)の裁判は 東京高裁が 麻原弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったという理由で控訴棄却にした。

そのときの弁護団の釈明が「松本智津夫被告に100回以上会ったが、1回も意思の疎通ができなかった」

これが本当なら、麻原彰晃(松本智津夫)が廃人状態であるという噂も嘘ではなく、詐病説も事実なのかもしれない。

しかし、残念ながら死刑確定後の麻原彰晃(松本智津夫)の様子を 私たちがうかがい知ることはできない。

一般人は週刊誌でチラッとこういうものを垣間見られるのがせいぜいである。
 
麻原彰晃 宮嶋茂樹
 
これは、宮嶋茂樹氏が東京拘置所に移送される麻原死刑囚の姿をとらえたスクープ写真である(週刊文春 1996年4月25日号掲載)

そのタイトルは「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」

不肖・宮嶋自身が日本中に衝撃を与えたこのスクープ写真の「撮影場所は死んでも言わない」と かつてテレビで言っていた。

「死んでも言わない!」から これが宮嶋茂樹執念の一枚であることがひしひしと伝わる。

拘置所の周囲は高い塀で囲まれているので、2キロ離れたところから10日以上張り込んで撮ったものだとか、高速道路の柱から超望遠レンズを付けたカメラで撮影したとか言われているが、不肖・宮嶋のオウム真理教に対する執念はハンパないのだ。

いつの間にかワシが現場の最長老

当時から過激なオウム真理教の信者との戦いで警察のやっかいになったのも一度や二度でない。

あげくの果てには、東京拘置所内の麻原彰晃の撮影に成功した時は、雑誌ジャーナリズム大賞までいただいたにもかかわらず、当局が浜田山のアパートの一室にまでやって来て、事情聴取までかまされたのである。

そんなこともあって、ターゲットがオウム真理教関係となると、たとえ菊地直子のような信者であっても、突然頭に血が上るのである。

五十路になってもそれは変わらない。

しかし、そんなオウム真理教取材の修羅場を知る同業者も近頃は激減、不肖・宮嶋がもはや最年長になってしまったのである。

しかも、今回の菊地直子逮捕の報に接したのは、あろうことか、みちのくの岩手であった。

前日より、一睡もせず、片道500キロ以上を、愛車のハンドルを握り続け、夜が明けたら明けたで、夕方まで東日本大震災の被災地を走るデゴイチ(D-51)を追いかけ回していたのである。

やっと一息つき、居酒屋でチューハイを一杯あおった直後の午後10時前、カウンターに据えられたテレビから流れるニュース速報で逮捕を知ったのだった。

その日のうちに帰京するためには、新幹線に飛び乗っても間に合わない時刻である。

確かにこのまま再びハンドルを握れば、夜明け前には東京に着く。

が、ワシももう五十路や。今日だけで700キロは走っとる。

おまけにチューハイも飲んでしまっとる。

しかも、最近は、仕事のたびごとに、もうこれを最後にしてこの稼業から足を洗おうかと悩みながらシャッターを切っているのである。

これが、プロのスポーツ選手が言う「体力と気力の限界」というものであろうと、しみじみ実感するのである。

 
 
それはさておき、拘置所内の麻原彰晃(松本智津夫)は糞尿を垂れ流す状態で、それが詐病とは思えないと関係者は口を揃えるという。

しかしながらそんな状態で、戦後最大のカルト宗教事件の結末がどうなるのか・・・。
 
 
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麻原彰晃(松本智津夫)の裁判


 
 
麻原彰晃(松本智津夫)が関与したとされる罪は全部で13ある。

■1989年2月・・・田口さんリンチ殺害事件

■1989年11月・・・坂本弁護士一家殺害事件

■1993~1994・・・サリンプラント建設

■1994年1月・・・落田さんリンチ殺害事件

■1994年5月・・・滝本弁護士殺人未遂事件

■1994~1995年・・・自動小銃密造

■1994年6月・・・松本サリン事件

■1994年7月・・・冨田さんリンチ殺害事件

■1994年12月・・・経営者VXガス襲撃事件

■1994年12月・・・会社員VXガス殺人事件

■1995年1月・・・被害者の会会長VXガス殺人未遂事件

■1995年2月・・・公証役場役員拉致事件

■1995年3月・・・地下鉄サリン事件

公判では、これら全ての罪で麻原彰晃(松本智津夫)が首謀者と認定され、断罪された。

オウム真理教事件まとめ

 
 
1996年4月24日午前10時過ぎ、東京地裁104号法廷が開廷。

麻原彰晃
麻原彰晃といいます。
オウム真理教の主宰者です。

そういって麻原は裁判長を見すえた。

この日、地裁は他の刑事裁判を開かず、松本死刑囚の公判を集中的に警備していた。

日比谷公園を埋め尽くした傍聴希望者数は1万2292人

これは2017年まで 21年たった今も地裁での最多記録である。

公判で麻原彰晃は、井上嘉浩死刑囚(48)ほか多くの弟子と見解が対立し、意味不明な発言を連発し続けた。

1997年4月24日の公判では

麻原彰晃
地下鉄サリン事件ですが、弟子たちが起こしたとしても、傷害事件であるというのがポイントです。
私はストップを命じた。
 
アイ・キャン・スピーク・イングリッシュ・ア・リトル…

…などと英語を交えて無罪を主張。

麻原彰晃は当初、弟子たちの暴走による犯行と自らの責任を否定する一方で「死刑なら死刑でいい」とも語るなど、かなり冗舌な面を見せた。

ところが「犯罪行為は麻原の指示なしにできない」(林泰男死刑囚)などと「教祖の指示」を告発する弟子の証言が相次ぐと、何も語らなくなり、被告人質問でも無言を貫いた。
 
 
検察側は1997年12月、審理迅速化のために松本・地下鉄両サリン事件の負傷者3920人について起訴内容の撤回を申し立て。

それでも証人尋問は約1260時間、公判は257回、判決まで7年10カ月を要した。

そして2004年2月27日、一審・東京地裁は麻原彰晃(松本智津夫)こと松本智津夫被告に死刑判決を言い渡した。

東京地裁
被告人のために酌むべき上記の事情その他の一切の事情をできる限り考慮し、かつ、極刑の選択に当たっては最大限慎重な態度で臨むべきことを考慮しても、被告人に対しては死刑をもって望む以外に途はない。

弁護側はこれを不服として即日控訴。

しかし二審・東京高裁が控訴趣意書を期限内に出さなかったという理由で控訴は棄却された。

拘禁症状による意思の疎通が不可能になったとされ、公判の持続が危ぶまれる中での控訴棄却である。

麻原彰晃については 誰もが「死刑」以外の判決を考えられない審理であり、上告までもつれにもつれ込むと予想された裁判だったはずである。

それがあっさりと、しかも意外な形で 麻原彰晃(松本智津夫)に死刑が確定し、審理にピリオドが打たれたのだった。

控訴棄却(東京高裁)

第一審を担当した国選弁護団は終了後に全員が辞任。

12人の国選弁護人に支払われた弁護士報酬は計4億5200万円になった。

松井武と仙台在住の松下明夫の2人の弁護団が後を引き継いだ。

東京高等裁判所は控訴趣意書の提出期限を2005年(平成17年)1月11日と定めた。

弁護団は1審判決後、松本に計36回接見したものの、弁護団の問いかけに無反応で意味不明な声を漏らし意思疎通が不可能であるとして、公判停止を申し立てた。

一方、高裁の須田賢裁判長は2004年12月10日に松本と面会し、「控訴趣意書は弁護士に作ってもらってもよい」「提出期限を延ばすつもりはなく、棄却もありえる」と説明した。

2005年(平成17年)1月6日、東京高裁は松本の精神鑑定を求める特別抗告を棄却しつつ、控訴趣意書の提出期限を同年8月31日まで延長することを決めた。

同年8月19日、高裁は弁護団に対して精神鑑定の実施を伝えた。

弁護団によれば、このとき高裁は「鑑定形式による鑑定人の意見が出るまでは控訴棄却はしない」と明言したとされる。

提出期限の8月31日、弁護側は控訴趣意書の「骨子」を持参したが、高裁の鑑定への立ち会いや公開法廷での鑑定人尋問などに関する申し入れが拒否されたことを理由に提出を拒んだ。

9月3日、高裁は控訴趣意書を「直ちに提出することを強く求める」文書を弁護団に送付した。

2005年(平成17年)9月、東京高裁は麻原被告の精神鑑定を西山詮に依頼した。

2004年(平成16年)10月以降、弁護団は独自に精神科医に依頼して鑑定を実施した。

中島節夫・中谷陽二・野田正彰・秋元波留夫・加賀乙彦など、計7人の精神科医はいずれも訴訟能力を否定または疑問視している。

一方、高裁の依頼を受けて鑑定を行った西山は「拘禁反応はあるが拘禁精神病の水準には達しておらず訴訟を続ける能力を失っていない」とし、高裁は2006年2月にこの鑑定書を受けとった。

高裁はこの鑑定書への反論意見書の提出を2006年3月15日までとした。

弁護側は提出期限の1ヶ月延長を高裁に申し立てたが認められず、結局期日通りに意見書を提出した。

2006年(平成18年)弁護団は3月28日に控訴趣意書を提出することを表明していたが、東京高裁はその前日の3月27日に控訴棄却を決定した。

この控訴棄却の決定は、控訴審の審理が結審した後に下される控訴棄却の判決とは異なり、控訴趣意書が正当な理由なく期限までに提出されなかったため、刑事訴訟法の規定に従って、控訴審を開始せずに裁判を打ち切るという決定である。
 
 
特別抗告(最高裁)

弁護側は最高裁判所へ特別抗告を行った。

最高裁では死刑判決の是非ではなく、被告人の訴訟能力の有無、弁護側の控訴趣意書の提出遅れが「やむを得ない事情」に該当するかの有無、提出遅れという弁護活動の不備による不利益を被告に負わせることの可否の3点が争われた。

同年9月15日に最高裁(堀籠幸男裁判長)は特別抗告を棄却し、松本への死刑判決が確定した。

麻原彰晃(松本智津夫)の27人殺人(司法の認定としては26人殺人と1人逮捕監禁致死)は死刑囚としては 戦後最悪の数字である。

それまでは連合赤軍事件の坂口弘の17人殺人(司法の認定としては16 人殺人と1 人傷害致死)が最悪の数字だった。
  
 
 
 
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もはや生きる屍!?東京拘置所内の麻原彰晃

麻原彰晃の裁判中の奇行

他の証人が証言している最中に英語でつぶやいたり、突然大声を発することもあった。英文法的には間違いが目立っていたが、単語は難易度の高いものを使っていた。さらに基本的な単語を度忘れした時、弁護人が教える場面も見られた。

【意味不明な発言】

「このような話を本日、エンタープライズのような原子力艦空母の上で行なうのは、うれしいというか悲しいというか、複雑な気分であります」

「第三次世界大戦は終わっていますから」

「今の名前はない。ブラックホールを背負っている」

「大腸菌を撒いていた」

「上祐史浩がそこで遊んでいるのか!?」

「幻覚剤を使っての裁判はやめていただきたい」

「超音波を使って私をコントロールしている」

「徳川、天皇、統一教会、オウム真理教が動いているから」

「日本の特別な法律がありまして、奥さんは一人じゃなくてもいい」

「いま、ここにいるのが麻原彰晃です」

「朝まで生テレビでテレビ中毒になりまして、保釈書を書いた裁判官が3人殺されまして、身元引受人は中沢新一」
 
 

宣誓を拒むなどして何度か退廷させられた。

次第に法廷で居眠りなどをするようになり、審理に関心を示さなくなった。

だが2000年4月4日の第153回公判で麻原の宿敵である滝本太郎弁護士が出廷した際には、滝本に対し「バカ」「出て行け」と怒鳴ったり、刑務官に八つ当たりして殴るなど久々に元気な姿を見せた。

森達也はある司法記者から、しばしば午前と午後で松本のズボンが替わっており、失禁しているらしいと伝え聞いた。

麻原彰晃の拘置所での奇行

1996年10月18日の第13回公判(井上嘉浩証人が出廷)から帰った後、「俺の弟子は…」「新実の言ったことは嘘だ」と泣き叫びながら独り言を言ったり、独房にチーズを投げつけるなどの奇行を始める。

2000年頃から拘置所内でも会話不能になる。さらに「心臓が止まっています。止まっても生きているんです」「甲子園の優勝投手だ」「大リーグボール3号だ」などと意味不明な発言。

朝になると「ショーコーショーコー!」と叫んでいた。

獄中で糞尿を垂れ流すため、40代半ば頃からおむつを使用していると報じられている。風呂にも自力で入れない為看守等に洗われるわけであるが、体に付着した大便のせいで風呂場は汚物まみれの極めて不衛生な状態とまでなるとのこと。掃除の際は飛び散った大便を長靴で踏んで排水口に流せるほど細かくして流し、クレンザーで殺菌するらしい。

獄中での食事は、他の者がその日の献立による普通の食事であるのに対し、麻原の場合は同じ献立の食事のメニューを全て1つの食器に入れて、それを食べさせているという。食事に使う食器はスプーンで、このスプーンは澱粉製である。これは誤ってスプーンを食べてしまっても大丈夫なようにとの拘置所側からの配慮である。

控訴審の弁護人である松井武によると、麻原は東京拘置所における松井との接見の最中に服の上から股間を擦り、さらに■■■■■させて■■■■をおこない、■■に至ったという。自分の娘たちとの接見でも■■■■を行ったことがあった。2005年8月、3人の娘と面会の際には麻原はせわしなく動かしていた手を止めると、スウェットパンツの中から■■■■■■■と■■■■を始めた。3人の娘たちが沈黙している不自然な空気を感じ取った看守が気付き「やめなさい!」と制止したものの、3回ほど繰り返した。3人の娘たちは絶句したまま呆然と父の■■を見つめたまま接見時間の30分が過ぎた。

このような奇行について、詐病であるか否かで見解が分かれている。


 
 

東京拘置所「衛生夫」が語った「麻原彰晃」闇の房

東京拘置所には、その実情が闇に包まれた一角がある。

病を患う囚人だけが集められた病舎。

中の様子はまったく窺い知れないが、そこで服役していた「衛生夫」が初めて口を開いた。

以下は、麻原彰晃はじめ、「闇の房」で暮らす“病”の死刑囚、3名の実態である。

薄暗いタイル敷きの廊下を進む1台の車椅子。

5~6人の男性が取り囲み、油断なく辺りに目を光らせている。

車椅子に座る老いた舎防着姿の男の目は宙を泳ぎ、表情は虚ろ。

衛生夫
それが絶対に見てはいけないとされていた人物、麻原の姿でした。
少し痩せてはいましたが、髪は事件当時と同じように伸ばしたまま。
 
以前の面影はあるのですが、“生気”はまったく感じず、ただ刑務官に為されるがままにいるだけという印象でした。

そう語るのは、最近まで東京拘置所で「衛生夫」として服役していた男性だ。

とある事件で逮捕され、通常なら刑務所で服役する身だが、当所執行を命じられ、未決囚や死刑囚の食事の配膳やフロアの掃除、身の回りの世話を担当することになった。

葛飾区小菅にある東京拘置所は、12階建ての建物がA棟からD棟まで立ち並ぶ日本最大の拘置所だ。

彼が割り当てられたのは、B棟とC棟それぞれ中層階にある2つの「病舎」

病を患う囚人だけが収容されるこの特殊なフロアに「麻原彰晃」こと松本智津夫死刑囚(58)がいたのである。

元幹部の平田信被告の公判で3人の死刑囚が証人尋問に立つことになり、再び注目されているオウム事件。

しかし、その首魁だった麻原の“現在”は一切伝わってくることがない。

そもそも、麻原は常にその“精神状態”が議論の的であった。

1995年の強制捜査前は頻繁にテレビにも出演して、教義をとうとうと述べ、その後も逮捕を恐れて2か月間に亘って上九一色村のサティアンに巧妙に潜んでいたことからして、事件当時の彼は「認識能力がある」とされていた。

しかし、裁判が始まるとその態度は一変した。

法廷では被告席で飛び跳ねたり、こぶしを突き上げるなど、奇行を連発。

薄ら笑いを浮かべたり、「チヅオ・マツモト・スピーキング」などと英語を口にすることまであって、裁判長にしばしば退廷処分を下されてきた。

また、この頃の彼の拘置所での様子を、小誌で衛生夫が証言したこともある。

それによれば

衛生夫
独房の中にトイレがあるのに、わざと大小便を布団の上に垂れ流して、迷惑をかけていた。
衛生夫
食事は、すべてのおかずをご飯の上に乗せて出され、それをレンゲを使って食べるのです。
時々、プリンなどのデザートが出ることもありますが、お構いなしにご飯の上に乗せる。
でも、どんなものが出ようと、彼は平らげます。

そんな様子であったから、麻原について「訴訟能力はない」「いや、詐病だ」と大論争が展開されたのだが、2006年、死刑が確定した前後から、麻原の現在を伝える報道はパタッと途絶え、彼の状況は闇に包まれることになったのであった。

シミだらけの布団

衛生夫
拘置所は、彼のことを絶対に誰の目にも触れさせないよう、異常なほど神経をとがらせています。
彼が病舎に移されたのもそのためでしょう。
 
病舎は、結核患者やHIV感染者、覚せい剤中毒者などが入っていて、拘置所の中でも最も近寄りがたいフロア。
そこでも麻原は“隔離”されているのです。
 
麻原のいるB棟の病舎は、他と違ってフロアの真ん中がパーテーションで2つに分けられ、その出入り口には刑務官が座り、厳重に管理している。
 
麻原はフロアの入り口から見て右側手前の房にいて、左右2つは空き室となっているので、麻原の房は他の囚人からは一切、見られません。
彼は周囲の物音1つ聞こえない“密室”で暮らしているのです。

麻原の入房時は、パーテーションの向こうには衛生夫どころか、フロアの刑務官さえ自由に立ち入りが許されない。

入れるのは、袖にラインの入った“金線”と呼ばれるベテラン刑務官のみで、彼らが食事の配膳や、身の回りの世話なども行うというのだ。

衛生夫
週に1度、麻原が屋上の運動場に行く時間があるのですが、その時も僕らは“お前ら、外に出るな!”“隠れてろ!”と、待機部屋に移動させられる。
そして、麻原が通過する経路には、わざわざ移動式のパーテーションを立ててまで姿を見せないようにする。
 
だから麻原を見ても、チラッとだけ。
ジロジロ観察しようものならすぐに怒鳴られるのです。

生身の姿はほとんど見せない麻原だったが、しかし、彼の“容態”を物語るものが、主不在の独居房には残されていた。

衛生夫
1~2週間に1度、麻原が部屋から出ているとき、僕ら衛生夫は房の掃除をさせられるのです。
灰色の壁に囲まれた彼の部屋は8畳ほどで、入って左側にベッド、奥に洗面所とトイレがあります。
 
しかし、本や置物など、生活感のあるものは一切、ありません。
代わりにあるのは、糞尿でした。
床には便が所々に落ち、小便で水たまりができている。
 
すえた臭いの中、僕らは“古いもの”はチリトリで削ぎ落としてトイレに流し、“新しい”ものはモップで拭かなければなりませんでした。
衛生夫
麻原はおむつをしているはずなのに、彼が寝ている蒲団は毎日のように交換されていました。
きっと毎日“お漏らし”をしてしまっているのでしょう。
 
今の麻原は自分で用を足せないどころか、おむつを付けていてもなお、不始末を仕出かしてしまう状態。
そして汚物が付いたシミだらけの布団で寝ているのです。
 
担当の刑務官もあまりの異様さに呆れ、“このまま執行は出来ないんじゃないか”と呟いていました。

むろん、病を装っている可能性は否定できないけれども、今も腫れ物に触るような扱いをされているのは事実のようだ。

麻原彰晃の現在

 
真実はわからないが、糞尿すら自身でコントロールできない状況が本当であるならば、過去の執行状況から考えれば 麻原彰晃(松本智津夫)の死刑はまずないのではないかと考えられる。

あまりにも症状が悪ければ医療刑務所に移送されるか、治療がなされないまま獄死するかのどちらかかもしれない。

日本の拘置所には数十年と幽閉されている塩漬け死刑囚が珍しくなくて、実際 2017年末の時点で収監20年超えの死刑囚が14人もいるのである。
 
 
死刑執行がされない理由はいろいろあり、あまり公にはされないが、ざっくりいうと4つある。

■長い拘置所暮らしのうちに精神に異常をきたした、あるいは体調が悪く、死刑執行できる状態ではなくなった。

■死刑執行に疑義が残る場合(死刑以外の判決が下されたことがあったり、本人が無実を主張し続けているなど)

■共犯者が逃亡している場合(新事実が発覚する可能性が残されているため)

■再審請求や特別抗告を繰り返して、死刑執行のすきを与えない。
※しかしこれは絶対ではなく、再審請求による死刑執行停止の法的効力は刑訴法442条などで認められていない。2017年7月13日に死刑執行された西川正勝・元死刑囚も再審請求中の執行だった。

塩漬け死刑囚の中には「アンタッチャブル」な存在のまま獄死した元死刑囚も数人いるわけで、個人的には麻原彰晃(松本智津夫)もそれに近い感じになるのでは…と漠然と感じているが、そうなったら死刑が確定した弟子たちはどうなるのだろう!?

結局 法務当局がどんな手を打ったとしても批判されることに変わりはないから、オウム真理教死刑囚たちには確実に死刑が執行されるのだろうか。

▼2017/11/21時点での麻原彰晃の様子▼

オウム麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の四女が絶縁記者会見!両親を相続人から除外する申し立て


 

▼麻原彰晃の三女(松本麗華・まつもとりか・アーチャリー)のツイート▼


 


 


 
 
いずれにしても、オウム最後の逃亡犯である高橋克也被告の裁判が2017年現在 上告中であり、この審理が終わらないうちは動きはないことは確実。

気になる今後の動向も追跡していきます。

現在、松本智津夫死刑囚は東京拘置所の単独室に収容されており、東京地裁に第4次再審請求中である。

2018/1/11 Xデーはいつ!?麻原彰晃死刑囚への死刑執行が間近か「平成のうちに終止符を」

法務省記者クラブの加盟各社が、“警戒態勢”を敷いている。

それはオウム真理教(現・アレフ)の首魁、麻原彰晃(62)の死刑執行に備えているからだ。

いつ執行されてもおかしくないXデーはいつなのか。

法務省からクラブ所属の記者にメールが届くのは、午前9時半。

そこに“午前11時から法務大臣の臨時記者会見が開催されます”の文言があると、彼らの緊張はピークに達するという。

全国紙の司法担当記者
メールには具体的な会見内容は書かれていませんが、事実上、それは死刑執行の通達文書。
2017年にも2回ありました。
記者会見までの1時間半に誰が死刑になったのかを取材しますが、我々がもっとも警戒している“大物”が麻原彰晃こと松本智津夫なのです。

麻原の死刑判決が確定したのは2006年9月。

一連のオウム裁判自体、最後の被告である高橋克也菊地直子に関する最高裁の審理も、開始からすでに1年以上が経過している。

オウム真理教に精通する滝本太郎弁護士によれば、

滝本弁護士
麻原の死刑執行は、高橋の最高裁判決が出た後だと思います。
最高裁判決は2017年のうちに出ると考えていましたが。

法曹界では滝本弁護士の見方が主流だが、

全国紙の司法担当記者
安倍政権下では、何があってもおかしくありません。
2017年7月に2人の死刑が執行されましたが、そのうち1人は再審請求中でした。
再審請求中の死刑執行は17年半ぶり。
 
また、12月にも再審請求中の死刑囚2人が執行されたが、そのうち1人は犯行当時19歳。
犯行時に未成年だった死刑囚への執行は、永山則夫死刑囚以来、実に20年ぶりでした。

実は2017年末には 永田町と霞が関のごく一部で“麻原の死刑執行決定”との情報が駆け巡り、一時騒然となったのである。

Xデーは、それほど先の話ではないでしょう」 こう語るのは、ある政治ジャーナリストだ。

政治ジャーナリスト
“いつまで麻原を生かしておくんだ”との世論の批判に対して、法務省の幹部は“自然死させるつもりはない”と語っています。
この先10年、20年も麻原の死刑執行を先延ばしすることはありえません。

また、法務省幹部は“平成で起きた事件は、平成のうちに終止符を打ちたい”とも考えているという。

政治ジャーナリスト
2018年内に新元号が発表され、その年の11月には眞子内親王が結婚し、さらに、その翌年には天皇が譲位されて、“新しい時代”が始まる。
 
そんなめでたい時に死刑を執行したくない安倍政権も皇室の慶事が目白押しになる前に決着をつけたいと考えているはずです。

どう転んでも、2017年末から2018年夏までにXデーはやって来そうだという。

via:「週刊新潮」2018年1月4日・11日号

2018/1/19 死刑執行、本格検討へ。松本死刑囚ら13人、再審請求も

一連のオウム事件の裁判が全て終結することを受け、法務省は教団の代表だった松本智津夫死刑囚(62)ら元幹部13人の死刑執行について、本格的に検討を始めるもようだ。

再審請求中の元幹部も多いが、法務省は請求中は執行を控えるこれまでの「慣例」にとらわれない姿勢を見せている。

刑事訴訟法は、判決確定の日から6カ月以内の執行を定めているが、公判に証人として出廷する可能性があるため、法務省は共犯者の刑が確定するまでは執行しない運用をしている。

最後となった元信者・高橋克也被告(59)の判決が近く確定することで、執行のハードルは事実上なくなった。

松本死刑囚は2004年2月に一審東京地裁で死刑判決を受けた。

弁護人が控訴趣意書を提出しなかったことから控訴審は一度も開かれず、2006年9月に死刑が確定した。

確定後、松本死刑囚の家族は再審請求を繰り返し申し立てており、現在は4回目の請求中。

他の死刑囚12人のうち、遠藤誠一死刑囚(57)ら少なくとも7人が請求中で、井上嘉浩死刑囚(48)も準備しているという。

再審請求中は執行しないのが「慣例」となっていたが、法務省は2017年7月、請求中の死刑囚の刑を18年ぶりに執行した。

関係者によると、この死刑囚は10回目の請求中で、2017年12月に執行した2人もそれぞれ3、4回目の請求中だったとされる。

収容中の死刑囚122人のうち94人が再審請求しているが、上川陽子法相は「再審請求を行っているから執行しないという考え方はとっていない」と明言している。

via:時事通信

2018/1/20 松本智津夫死刑囚、家族と面会絶ち9年

東京拘置所に収容されているオウム真理教元代表松本智津夫死刑囚(62)は2008年から後は、家族や弁護人と面会していないとされ、近況は不明だ。

ただ、トイレに行かずおむつを着用するなど、異様な生活の一端が明らかになっている。

「弟子たちにストップを命じたが、負けた形になった」

公判が始まった当初は法廷で積極的に発言していた松本死刑囚だったが、やがて不規則発言や居眠りが目立つように。

その後、被告人質問では沈黙を貫き、弁護人との接見も拒否した。

松本死刑囚と接見した精神科医が東京高裁に提出した鑑定書などによると、同被告は失禁するようになり、2001年から日常的におむつを着用。

一方、家族との面会は2004年から始まったが意思疎通ができず、2008年を最後に途絶えたという。

控訴審で弁護側は「訴訟能力がなく、公判を停止し治療を受けさせるべきだ」と主張した。

しかし、東京高裁は精神科医の鑑定や、裁判官が松本死刑囚と直接面会した結果などから訴訟能力はあると認定した。

最近では、松本死刑囚の四女(28)が申し立てた家事審判に絡み、家裁から照会を受けた東京拘置所が「聴力や身体機能は保たれ、精神的障害はない」と回答。

運動や入浴をし、健康診断にも応じるが、面会はかたくなに拒否しているとした。

刑事訴訟法は確定死刑囚が心神喪失の状態にある場合、刑の執行を停止すると定めているが、法務省幹部は「執行に問題はない」と話している。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011901070&g=soc

2018/1/20 死刑囚13人を同じ日に執行する案と、松本死刑囚だけを先に執行する案

オウム 地下鉄サリン事件

1995年3月21日付・日刊スポーツ東京版

 
法務省関係者によると、13人を同じ日に執行する案と、松本死刑囚だけを先に執行する案があるという。

ただ、執行後の対応に不安を抱く関係者も少なくない。

執行を命じた法相に教団側が「報復」する恐れは消えず、遺体の引き取り先などの検討課題も多い。

公安調査庁は、執行で松本死刑囚があらためて神格化される可能性も警戒。

慎重に対応を検討する。

https://www.nikkansports.com/general/news/201801200000090.html

2018/1/20 オウム裁判終結でささやかれる 麻原死刑執行の政治利用

最大の焦点となるのが、元教団代表の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(62)の執行だ。

一連のオウム事件では29人が死亡し、負傷者は約6000人に上った。

計192人が起訴された歴史に残る大事件の首謀者の死刑が執行されれば、必ずビッグニュースとなる。

官邸事情通
既に政界では、執行を判断する安倍政権による麻原死刑執行の『政治利用』がささやかれています。
 
今後、スキャンダル発覚などで安倍政権が追い込まれたら、すかさず死刑を執行し、世論の目先を変え、追及から逃れるという算段です。

2006年に松本死刑囚の死刑が確定してから、もう約12年。

“尊師”を生かすも殺すも政権の胸ひとつで決まり、安倍首相が窮地に立たされた時こそが「Xデー」となるに違いない。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/221645/2
 
 
  
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