尼崎児童虐待死事件 (勢田知子・勢田剛士)

尼崎児童虐待死事件 勢田知子

2001年8月13日、兵庫県尼崎市大浜町の北堀運河で、黒色のポリ袋に入れられた勢田恭一君(当時6歳・小1)の遺体が浮かんでいるのが発見された。

恭一君の遺体には無数の虐待の痕跡があったため、警察は恭一君の母親の勢田知子(当時24歳)と、義父の勢田剛士(24歳)を逮捕した。
 
 
7ヶ月ほど前、勢田知子は離婚した夫との子供である恭一君を、預けられていた家から強引に引き取った。

当時、瀬田知子と瀬田剛士は借金を踏み倒して夜逃げを繰り返す生活を続けており、日々の生活費もままならない状況で、恭一君を引き取って月5000円の児童手当をもらおうともくろんでいたのだった。

勢田知子は生活苦のイライラを6歳の恭一君にぶつけ、些細なことで叱り飛ばしては、しつけと称して虐待を加えていた。

虐待しているという認識がない勢田知子が「子供が言うことを聞かなくて困る」と児童相談所に相談に行ったため、虐待が発覚した。

そのときに勢田知子に連れられてきた恭一君の全身はあざだらけ。

さらに足が変形して曲がり、両鎖骨を骨折していて、恭一君は全治1ヶ月の重傷を負っていた。

そのためその場で恭一君は保護され、児童養護施設に預けられた。

しかし勢田知子は恭一君と一緒に暮らすことを諦めず、お盆休みを理由に恭一君を一時帰宅を施設に要求した。

恭一君は帰宅当日に「家に帰りたくない。お母さんがたたく」と職員に訴えたのだが、施設側はそのまま恭一君を知子の元に送り出した。

勢田知子は最初は恭一君に普通に接したが、数日後にはまた虐待を繰り返していた。

そして2001年8月7日未明、勢田知子も勢田剛士も恭一君に食事も水も与えずに、2人で30時間に渡る暴行を加え、恭一君は脳内出血で死亡した。

瀬田知子と勢田剛士は恭一君殺害を隠蔽するために「恭一がコンビニに行ったまま帰ってこない」と警察に捜索願を出した。

その後、恭一君の遺体を黒ポリ袋に入れ、運河に投げ捨てて逃亡した。
 
 


 
 
勢田知子自身も幼児期に母親から虐待を受けて育っていたという。

母親は怒ると、幼い知子の足腰が立たなくなるまで殴り続けた。

その影響もあってか、知子は小学生の頃に、すでに手のつけられない不良になっていた。

知子には兄が3人おり、兄達も少年時代から手のつけられない不良だった。

知子は気に入らないことがあると教室内でカッターナイフを振り回して暴れ、退屈しのぎにクラスメイトの背中を切りつけたりしていたが、教師が叱ると父や兄が怒鳴り込んでくるため 恐れられいて指導もろくになされなかった。

中学生の頃には補導されて施設に入所していたので、学業どころではなかった。

中学卒業後はホステスになったが、客や同僚に暴力を振るうなどの知子の凶暴性はまったく変わらなかった。
 
 
勢田知子は逮捕後の取調べでも、恭一君の死はしつけによる事故死であると主張した。

「私だって叩かれて育った。これはしつけだ」という。

勢田知子と勢田剛士は傷害致死罪と死体遺棄罪などで起訴され、2003年2月26日、2人には懲役8年の実刑判決が確定した。

事件後、児童養護施設が児童相談所と協議しないまま、恭一君の一時帰宅を決めたことや、児童虐待防止法に定められた母親への指導を怠っていたことが明らかになり、関係者が処分されている。
 
 
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愛知県豊田市虐待事件