731部隊 (満州第七三一部隊) 関東軍防疫給水部本部と帝銀事件

七三一部隊 帝銀事件 平沢貞通


 

故・中川昭一 
原爆投下は米国が世界ナンバーワンの軍事力を持つための実験

この発言の真意や真偽は別として、元防衛省関係者の間では、こんな証言もある。

「アメリカの原爆投下が人体実験だったのは明白で、GHQは放射能影響を調査し、詳細なデータを持ち帰っている。アメリカの恐ろしい点は、国内の実験も国民には秘密裏に実行し、最後のデータ集積は対戦国や支配国で行うことで、この形は長く変わらない」

この証言の真偽も定かでない。

が、ABCC(原爆傷害調査委員会)は原子爆弾による傷害の実態を調査記録していて、16万人の被爆者を選び 一人ひとりにインタビューし、亡くなった7500人ほどを解剖したというが、不調を訴える被爆者の治療は一切行わなかったという。

それを考えると「最後のデータ集積は…」の部分、あながち間違ったことを言っていないのではないかという気もしてくる。

第二次世界大戦の原爆だけでなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などで、アメリカは国際条約で禁止されている生物兵器や化学兵器を敵国内で使用してきた歴史を見ても、アメリカの戦争史は新兵器の開発といわれてしまっても仕方がないと思う。

赤痢菌とか枯葉剤とかマスタードガスとか・・・。

でも、細菌開発研究という話になると、日本にも黒歴史が存在するから、それを考えるとなんともいえない重い気分になる。

日本でも戦前から人体実験を伴う細菌兵器の研究と開発が行われていたのは周知の事実だ。

森村誠一の「悪魔の飽食」でその存在が世間に知れ渡った七三一部隊

陸軍中尉・石井四郎が1932年(昭和7年)に陸軍軍医学校内に貿易研究室を置き、1941年(昭和16年)に正式に満州防疫機関を設立、これが七三一部隊(関東軍防疫給水部)である。
 
 
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Building on the site of the Harbin bioweapon facility of Unit 731 関東軍防疫給水部本部731部隊(石井部隊)日軍第731部隊旧址 PB121201.JPG
By 松岡明芳投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

関東軍防疫給水部本部731部隊(石井部隊)日軍第731部隊 再建された建物(1号棟)

 
 

七三一部隊は軍人と軍属民間人を合わせた約3500人で構成された。

そしてロシア人や中国人などの捕虜を実験対象にし、捕虜は丸太(マルタ)という隠語で呼ばれていた。

満州を中心にして大規模な細菌開発や、マルタを使った人体実験を行っていたのである。

堀中哲雄(石井四郎中将の上官)
(昭和39年国会法務員会での証言)
 
ウィルス兵器にするためには、各国の持っている免疫性血清や治療薬では絶対に殺されない超耐性の菌をつくる必要があった。
 
さらに強度の感染力と伝播力を持つ新種の病原体を開発することも必要であった。
 
生きている人間に人工感染させ、菌を培養し、血清を製造して治療する、このことを繰り返し実験しなければならなかった。

終戦直後にGHQの「G2」機関は 七三一部隊の戦犯訴追の免責を約束する代わりに、詳細な人体実験のデータを入手した。

石井四郎中将から得たデータは、いったんアメリカ諜報部に保管されて、その後フォート・デトリック基地に運び込まれたという。

第二次世界大戦中に中国で細菌による人体実験を行った旧関東軍防疫給水部(七三一部隊)の関係者に対し、連合国軍総司令部(GHQ)が終戦二年後の1947年、実験データを初めとする情報提供の見返りに現金を渡すなどの秘密資金工作を展開していたことが8月14日 米公文書から明らかになった。

総額は、国家公務員(大卒)の初任給ベースで比較すると、現在の価値で2000万円以上に達する。

via:共同通信2005年8月15日

つまり七三一部隊はアメリカの支配下に置かれて、アメリカ軍の細菌開発部隊となったということだと思う。

アメリカの資金援助を受けた731部隊の幹部たちは、戦後 国内でミドリ十字などの製薬会社を設立し、各国立大学で要職に就いている。
 
 
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1989年(平成元年)厚生省戸山研究庁舎の建設現場で、100体以上の人骨が発見された。

ここは旧陸軍軍医学校の跡地であり、石井四郎により防疫研究室が開設された場所だ。

ここから発掘された人骨が石井の人体実験被害者であることは、複数の資料から明らかとなっているようだが、政府は「事実関係不明」と発表している。

この地には現在、国立感染症研究所(旧・国立予防衛生研究所=予研)があるが、予研の歴代所長には多くの七三一部隊関係者が就任してきたという。

2001年の厚労省調査報告では、陸軍軍医学校関係者368人への聞き取り調査によって、標本類また医学教育用に集められたもので、戦死者等から作成された可能性はあるが、731部隊によるものを否定する回答もあり、確定できなかった。

2011年、厚労省が初の発掘調査を行った。

2016年、人骨の会代表常石敬一らはミトコンドリアDNAの鑑定などを厚労省に要望した。

via:wikipedia

 
 

1948年(昭和23年)1月23日に起きた帝銀事件。

犯人として逮捕されたのは画家の平沢貞通(当時56歳)で、平沢は無実を訴えるも、1955年(昭和30年)に死刑が確定し、死刑執行されることなく95歳で獄死した。

平沢貞通犯人説はずっと冤罪がささやかれ続けていて、2015年(平成27年)11月24日にも平沢の遺族が第20次再審請求を東京高裁に申し立てている。

帝銀事件は犯人が毒物の扱いに慣れていたことから「犯人は七三一部隊の関係者ではないか」といわれていた。

実際、警察の捜査も事件当初は七三一部隊に目を向けていたのだが、しばらくして七三一部隊犯行説は消し去られた。

当時事件を追っていた読売新聞の大木次長のところにも圧力がかかり、警視庁とGHQから「暴くのはやめてほしい」と申し出があったことが後に明らかにされている。

成智英雄警部補らが進めていた七三一部隊関係者を対象に絞った捜査も、突如打ち切られている。

そしてそのあとに逮捕されたのが平沢貞通・元死刑囚である。

もしも帝銀事件に七三一部隊の関与があったとしたら、帝銀事件も人体実験だったのかもしれない…と思わずにはいられないが、すべての真相は藪の中である。
 
 
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